2011年05月26日

report1 発生!

3月11日午後2時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。
新島震度5弱、式根島震度5強。午後3時20分新島にも高さ6mの大津波警報発令。
近年初の大津波警報だ。常日頃、自分は危機がせまった時には冷静になれると思っていたが、さすがに少し緊張した。
テレビからは、信じられないような大津波が東北関東を襲っている。
誰もが夢であってほしいと思った。

この日と翌日は災害対応に追われた。

その後、一日も休めなかったが、心の中では「日本人としてどんな形にせよ、絶対に行かなければならない」と決めていた。

そして、ジリジリと時が過ぎる中で、新島からはACCO
HAWAIIからはkirby
東北被災地へ向かって行った。


ようやく休みがとれそうだったが、自分には心の中に一つ引っかかっている事がある。
それは新燃岳で観光に大打撃を受けている宮崎だ。
忘れっぽい日本人。
マスコミのせいにもしたいが、しかし最後は自分自身の中にある日本人としての心だ。
迷う事無く宮崎行きを決断。
くわしくは宮崎トリップ2011


こうして島に帰ってきた自分に、ようやく被災地支援の話しが来た。
yojibay日記を見てくれている方は、ご存知だと思うが、こう見えても自分は公務員だ。

支援先は、岩手県大槌町。
防災対策会議で集まっていた町長以下130名中33名もの職員が犠牲になった町である。
これだけの犠牲者がでていたら町は機能していないはず。
迷わず志願した。

職場の先輩後輩は、自分の腰の事を心配してくれた。
随分、迷惑をかけた。5分も立っていられない、100mも歩けない自分をかばってくれたから。
だが、「もしかしたらこの日のために」というぐらい腰は痛くない。
(勿論、今は完全復活している)

支援期間は5月14日〜19日
メンバーは、奥多摩町・利島村・神津島・三宅村・新島村の5名でいずれも会った事はない。
この間、共同生活。
礼儀さえわきまえていれば心配ないけど、互いに気を使い合わなければならないから、被災地に行くことを考えると疲れるかも。

そんな事を考えながら、まずはお馴染み湘南仲間の「山男総長」に登山ザック&必要備品を依頼した。
何せ持っていかなければならない物が多すぎ。
こんな大荷物を持っての移動は人生初。
それでも何とかまとめた。
結果的に15kgになった。

さて、出発しよう!

つづく
posted by yojibay at 17:51| 日記

report2 出発!

本来13日に新島を出発する予定だったが、台風1号の波で欠航になる可能性が高いため、前日の12日に出発。
(案の定13日のJFは欠航)
小雨が降る中、新中央航空に連絡すると飛ぶとのこと。
「ラッキー!!」と叫び、1便に搭乗。

エンジンスタートしたが、突然停止。・・・・・?
本当はエンジンが止まったのが気づかないくらい寝るモードに入っていた。
何でも、調布が視界不良とのこと。
あきらめ、JF。

この日は立川に宿泊。明日は奥多摩市が車を出してくれるため、羽村駅集合になっている。
行動が裏目裏目に出て、結局東京に残る事になった同級生の嶋自慢社長宮原君と飲み会。
しかし、裏目裏目と一緒、店も今イチ当たらなかった。

そんなことで早めに就寝。

翌日、羽村駅に集合。
みんなに挨拶。
奥多摩町の岡ちゃん、利島村の丹ちゃん、神津島村のナベちゃん、三宅島村の平ちゃんと自分の5名。
平ちゃんと言っても一つ年上。意気投合してから、こう呼ぶようになった。
三宅島村は現在も火山ガスが噴出している災害地であり、平ちゃんは自分と同じく防災担当。

一番最初に集合場所に到着した自分は、関係者に書類を渡された。
誰かリーダーになってもらいたいとのこと。今まではグループの最年長者がなっているとのことだったので、
「ハイ!平さん」と言って有無を言わさず書類を渡した。
平ちゃんは、少し迷惑そうな顔をしていた。
後々まで「富田さんにはやられたよ〜」と言っていた。

まずは岡ちゃんの運転でスタート。長距離のために交替で運転しなければならない。
車はアルファート。良い車。
写真の席は通称「王様の席」と呼ばれ、一番後ろでゆったりできる。
自分はその席に座る。まさに運転手つきの社長あるいは王様のようだ。

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今回のメンバーでタバコを吸わないのは岡ちゃんだけ。
岡ちゃんは、サーファーだということだったので、もう弟子扱い。
とは言え、支援期間中、こちらも礼儀を欠かないように敬語で通した。

車の中は、持ち主の奥多摩町職員が吸わないので、禁煙ということにした。
我慢できなくなるとI.Cで一服。
その分、かなり飛ばした。
自分が一番飛ばしたが、みんなに「短気だ!」と言われた。
確かにその通りだけど、くやしいから帰りは安全運転に徹した。

さて、午前10時に出発して午後6時過ぎ、前泊地の遠野市の民宿に到着。
宿代4,000円食事なし。
宿にお勧めの飲み屋さんを紹介してもらって、街にくり出す。
鳥料理が自慢の店。
そこで、はじめて自己紹介。

岡ちゃん、平ちゃんは省略。
丹ちゃんは奥様とIターン組、朝は4時半に起きて庭いじりをするらしい。
一番お酒が弱かったのかな。メンバーの中では一番まじめな人。
ナベちゃんは、ここでは書けないが(笑)事情があって神津島にUターンしてきた。
飲むとすぐ寝る。

初対面なので、何となく遠慮がちな皆も平ちゃんトークで和ませる。
よっ!さすが、リーダー!!
自分もH話しで盛り上げる。

これから行く被災地のことを思い話し合ったり、笑い合ったりと、気持ちは一つになった気がした。

翌朝、4時半起床、5時出発ということで12時ぐらに消灯。
まずは、丹ちゃんが可愛いイビキをかきご就寝。
その可愛さで皆で大笑い。
やがてナベちゃんが豪快なイビキをかき眠る。
それで大笑いしていたが、みんないつ間にか深い眠りについていた。

翌朝、丹ちゃんが4時頃からごそごそしている。
リーダーが一括!
自分は言えない。いきなりまずい雰囲気か!?
丹ちゃんすぐに反省の言葉。

一見きついけど、実は正解。はじめてのメンバーで同じ部屋に寝る。
大人なら互いを気遣わなければならない中で、個人個人が勝手に行動していたら、全員のペースが狂ってしまう。
相手は被災者。自分たちが健康でなかったら、どうして対応できよう。
なかなか言えない事をハッキリ言う。
これは凄い事。尊敬した。


さて、出発だ!

つづく
posted by yojibay at 17:50| 日記

report3 現地の実情

5月15日、午前6時に宿舎である釜石市の釜石合同庁舎に到着。
我々は第7次派遣班、前任の6班と引き継ぎを行う。
午前7時に大槌町仮庁舎へ向かって車を走らせた。


目の前に飛び込んでくる生の映像。
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主要な道路こそ綺麗になったものの、災害直後と変わらない街。
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テレビでは伝えきれていないヘドロや重油、こげた臭いが鼻をつき、ひとたび風が吹くとホコリが宙に舞うため、目を開けていられない。幸い天気が良く日中は暑いくらいであったが、マスクをつけていなければならない。


我々は合同庁舎につき、そこではじめて本格的な引き継ぎを行った。
◎罹災証明申請(税務課)◎がれき・車や船舶除去の意向確認(地域整備課)◎災害物資や在宅避難者のデータベース作成(福祉課)◎住民票等必要書類手続き案内(町民課)◎その他、窓口の総合案内や被災者相談などが支援の主な業務。

仮庁舎。
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さて、大槌町は、人口が、およそ15,000人で基幹産業は水産業という町で、ワカメ・アワビ・ウニの養殖、またイカ・サンマ、これからの季節はサケなどが穫れるはずであった。

大槌町の位置。
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町の人的被災情況(4月21日時点)だが、避難者数2,239人、行方不明者・死亡者が1,713人となっている。その中には、130名の職員中、町長をはじめ町職員33名が含まれており業務に大きな支障をきたしていた。
派遣している自治体は、無論、東京都の町村だけでなく静岡県や関西地方からも同じように職員が派遣されている。

まだまだ行方不明者が大勢いて、毎日、自衛隊や警察官が捜索にあたっている。
そのため、ガレキと化した住居を撤去できない。
また、1/4の職員が犠牲になっため事務作業が追いつかない。
復興が思うように進まないわけだ。

写真は毎日午後5時から行われる自衛隊・警察・町職員のブリーフィングの様子。
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警察官の方々による捜索活動の様子。
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この日の朝、業務前にすでに長蛇の列。
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町職員のなかで初めてお会いした方より
「復興の目処が見えずふわ〜っとしている。まあ一歩一歩は進んでいるのだろうが・・・」


職員の犠牲者には特に町民課の窓口の職員(住基担当者)や技師、若手などが多かった。
3月11日の被災日から一日も休んでいない。疲労困ぱいの様子が一目瞭然でわかる。しかし、文句の一つも言わない。恐らく同じ職場の仲間の分も頑張っているのだろう。

大槌町役場痕。
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派遣期間中、夜中に地震が発生。崖崩れに伴い避難者が出たため職員は出勤朝まで作業。休む間もない。
6月からは休む予定とのことだが・・・。
生き残った職員も被災者であり、避難所から通っている。服装もほとんどが私服である。このため、住民の方は、県外から応援に来ている我々作業着姿の職員を町役場職員だと思い話しかけてくる。
初日の応援直後から、どこで何を発行しているか。どのような手続きを行えば良いのか急いで覚える必要があった。
町職員は、基本的に現場測量やデータのとりまとめに追われ住民対応はできないため、他県から派遣された我々がやるようになる。

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正直に記す。
当初、我々を歓迎していないかのように思えた。恐らくだが、「ちょっと来てすぐに帰って行く。我々は終わりのない戦いをしているというのに」
そんな印象を受けた。

我々は、津波に襲われた町役場で、お水を捧げ犠牲となった職員のために祈った。
また、海には線香を焚き、犠牲者のために黙祷した。

庁舎前。
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海にて。
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我々がそのことを告げると、目に涙を浮かべていた。
それから様々なことを教えてくれた。

つづく
posted by yojibay at 17:49| 日記