2011年05月26日

report3 現地の実情

5月15日、午前6時に宿舎である釜石市の釜石合同庁舎に到着。
我々は第7次派遣班、前任の6班と引き継ぎを行う。
午前7時に大槌町仮庁舎へ向かって車を走らせた。


目の前に飛び込んでくる生の映像。
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主要な道路こそ綺麗になったものの、災害直後と変わらない街。
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テレビでは伝えきれていないヘドロや重油、こげた臭いが鼻をつき、ひとたび風が吹くとホコリが宙に舞うため、目を開けていられない。幸い天気が良く日中は暑いくらいであったが、マスクをつけていなければならない。


我々は合同庁舎につき、そこではじめて本格的な引き継ぎを行った。
◎罹災証明申請(税務課)◎がれき・車や船舶除去の意向確認(地域整備課)◎災害物資や在宅避難者のデータベース作成(福祉課)◎住民票等必要書類手続き案内(町民課)◎その他、窓口の総合案内や被災者相談などが支援の主な業務。

仮庁舎。
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さて、大槌町は、人口が、およそ15,000人で基幹産業は水産業という町で、ワカメ・アワビ・ウニの養殖、またイカ・サンマ、これからの季節はサケなどが穫れるはずであった。

大槌町の位置。
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町の人的被災情況(4月21日時点)だが、避難者数2,239人、行方不明者・死亡者が1,713人となっている。その中には、130名の職員中、町長をはじめ町職員33名が含まれており業務に大きな支障をきたしていた。
派遣している自治体は、無論、東京都の町村だけでなく静岡県や関西地方からも同じように職員が派遣されている。

まだまだ行方不明者が大勢いて、毎日、自衛隊や警察官が捜索にあたっている。
そのため、ガレキと化した住居を撤去できない。
また、1/4の職員が犠牲になっため事務作業が追いつかない。
復興が思うように進まないわけだ。

写真は毎日午後5時から行われる自衛隊・警察・町職員のブリーフィングの様子。
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警察官の方々による捜索活動の様子。
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この日の朝、業務前にすでに長蛇の列。
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町職員のなかで初めてお会いした方より
「復興の目処が見えずふわ〜っとしている。まあ一歩一歩は進んでいるのだろうが・・・」


職員の犠牲者には特に町民課の窓口の職員(住基担当者)や技師、若手などが多かった。
3月11日の被災日から一日も休んでいない。疲労困ぱいの様子が一目瞭然でわかる。しかし、文句の一つも言わない。恐らく同じ職場の仲間の分も頑張っているのだろう。

大槌町役場痕。
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派遣期間中、夜中に地震が発生。崖崩れに伴い避難者が出たため職員は出勤朝まで作業。休む間もない。
6月からは休む予定とのことだが・・・。
生き残った職員も被災者であり、避難所から通っている。服装もほとんどが私服である。このため、住民の方は、県外から応援に来ている我々作業着姿の職員を町役場職員だと思い話しかけてくる。
初日の応援直後から、どこで何を発行しているか。どのような手続きを行えば良いのか急いで覚える必要があった。
町職員は、基本的に現場測量やデータのとりまとめに追われ住民対応はできないため、他県から派遣された我々がやるようになる。

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正直に記す。
当初、我々を歓迎していないかのように思えた。恐らくだが、「ちょっと来てすぐに帰って行く。我々は終わりのない戦いをしているというのに」
そんな印象を受けた。

我々は、津波に襲われた町役場で、お水を捧げ犠牲となった職員のために祈った。
また、海には線香を焚き、犠牲者のために黙祷した。

庁舎前。
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海にて。
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我々がそのことを告げると、目に涙を浮かべていた。
それから様々なことを教えてくれた。

つづく
posted by yojibay at 17:49| 日記